ホーム インタビュー 世界中から留学生が広島へ。日本発の超微小外科手術が切り開く未知の世界

世界中から留学生が広島へ。日本発の超微小外科手術が切り開く未知の世界

「今まで見えなかったものを見てつなぎだすと、免疫レベルで治すことができるようになるだろう」
このようにお話される広島大学病院国際リンパ浮腫治療センター長光嶋勲(こうしま いさお)先生
マイクロサージャリ―(顕微鏡を用いた微小手術)の開拓者として、病気やけがによって失われた身体の復元を行い数多くの患者さんの命と人生を救ってきました。
また、現在はリンパ浮腫という病気に対する手術を年間約200例手掛けています。
顕微鏡と直径0.05ミリの専用針を用いて、0.3ミリという細さの血管や神経をつなぐという、世界中を探してもできる医師はごくわずかしかいない匠の技に挑むことでどのようなことが可能になるのか、お話を伺いました。

マイクロサージャリ―(形成外科)を目指されたきっかけは

学部6年生の6月のことでした。特別講座で口唇裂などのスライドを見た時に衝撃を受けたのです。口唇裂の手術は口腔外科でも行われていましたが、筑波大学の形成外科を立ち上げられた添田先生の手術は、がんで大きく切除してしまった顔などもきれいに治されていて、あぜんとしました。あの講座を受講していた学生はみんなすごいなと驚いたでしょうが…その道に進もうと思ったのは私だけだったと思います。
まだ人が少ない外科に行こうという思いもあったので、形成外科をやろうと決めました。そこで川崎医科大学形成外科の谷 初代教授に手紙を出したところ、まずは大きな外科で経験を積んでから形成外科に進んだほうが良いというアドバイスをいただいたので、経験を積むために都内で一番忙しい病院を探して一般外科に入り、昼間の手術から夜間の救急対応などを経験しました。

開発された手術はどのように広まっていったのですか

腹直筋や広背筋などの筋肉を犠牲にせずに、皮膚や脂肪組織と血管を移植する穿通枝皮弁(せんつうしひべん)法を開発したのは1980年代のことですが、当時は国内で興味を持ってくれる医師は全くいませんでした。こんな手術ができるとは、誰も思っていなかったのです。しかしアメリカの一人の医師が90年代にこの方法をマスターし、一緒にライブをやろうと声をかけてきたのでライブを始めたところ、アメリカをはじめ海外に広まっていきました。これによって若い医師がマスターしていき、徐々にスタンダードになっていきましたが、それまではできないだろうと思われていたことを実現してしまったのでパンドラの箱を開けてしまったとも思っています。

2000年当時、岡山大学医学部附属病院の病院長を務められていた荒田次郎教授に形成外科学科を新設していただき、私は母校の岡山大学に初代教授として戻りました。中国・四国地方におけるがん治療の中心的役割を担っていた同院で顔周りのがん治療の再建など最先端の手術を、マイクロサージャリーの技術を用いて行いました。現在でも岡山大学病院ではマイクロサージャリーが盛んに行われています。

光嶋先生は、失われた身体の再建からリンパ浮腫治療まで様々な手術で功績を収められています。どのようにして様々な手術に挑戦してこられたのですか

穿通枝皮弁法で乳房の再建に成功した時から、微小外科手術の戦略として同一線上にリンパ管の静脈吻合術がありました。さらにここ20年では、まだ完成していませんが、生きた神経移植の開発に取り組んでいます。ただ神経をつなげるだけでなく、神経内のたんぱくや血液の流れを意識してつなげることで、治療の効果が上がると考えています。

現在はどのような国から留学生が来ているのでしょうか

現在はエジプト、イスラエル、ルーマニアからの留学生がいます。海外で私のプレゼンテーションを聞いたり、ライブサージャリ―を見たりした学生が、なんとしてでも技を身につけたいという思いで来てくれています。見るだけではなく一緒に実践してみることで、なぜここまで微細な手術が必要なのか、初めて分かるでしょう。
1年間で30人ほどの留学生が学んで、個人のWEBサイトで発信したりもしています。よく勉強しているので、彼らからは毎日質問がたくさん飛んできます。

今後の展望について教えてください

これからは生きた細胞移植を一つの大きなターゲットにしています。栄養血管を付けた状態で移植することで移植した細胞が生きてくるので、パーキンソン病なども治るようになるのではないかと思っています。
今気になっていることは免疫についてです。30年前はマイクロサージャリーと同じようにあまり解明されていませんでしたが、どんどん進歩していろいろなことが分かってきているので、最新情報について勉強しています。マイクロサージャリーで免疫機能も改善できるようになる時代がくると期待しています。