突撃!執行役員インタビュー 製造部門朝岡執行役員 

執行役員と聞くと「怖い」「話しかけづらそう」といったようなイメージはありませんか?そんなイメージを良い意味で180度覆す執行役員が勢ぞろいしているのが河野製作所の魅力のひとつ。どの方も、厳しさの反面、きちんと指導してくださる、社員の憧れの存在です。この度、さらなる魅力や、お人柄を探るべくインタビューをさせていただきました。第1回目の登場は『製造部門の管理・薬事関連の責任者』を担っている朝岡執行役員です!

目次

出身地は「東京生まれ、つくば育ち」

伊藤 本日はよろしくお願いします。早速ですが出身地と、その都市の魅力を教えてください。

朝岡 東京生まれ、つくば育ちです。つくばの魅力は、やはり緑豊かで、広々としている綺麗な街並みでしょうか。研究学園都市なのでアカデミックな雰囲気があり、子育てにも非常に良い環境だとも感じています。長期休みにはJAXAなどの様々な研究所へのバスツアーが開催されており、子供たちにとっては色々なことに興味を持ちやすい土地なのではないかと思います。

学生時代 夢中になっていたこと

伊藤 朝岡さんといえば『スポーツ万能』のイメージが大きいですが、学生時代部活は何をされていたのですか?

朝岡 最初は小中とサッカーをやっていたのですが、高校でサッカー熱は燃え尽きて一旦休止(笑)大学からは本格的に競技スキーを始め、アルペンスキーに夢中になりました。この頃は、一年中スキーの事ばかり考えていましたね。 当時、スキーに対して勝手に『美男美女が颯爽とスキー場を駆け下りてくるみたいな華麗なイメージ』をもっていたのですが…。

伊藤 確かにスキー場を駆け下りてきて、ざざーって言わせながらブレーキをかけて止まるみたいなイメージがあります!(笑)

朝岡 でしょう?でも実際ふたを開けてみたら、スパルタで(笑)、入部後の初合宿から、急な坂をひたすら自力でのぼっては滑るという過酷なメニューをこなしていました。

伊藤 最初から、ものすごくハードですね!

朝岡 あとは、電気もガスも水道もないようなところで合宿した思い出もあります。薪でご飯を炊いて、おにぎりをみんなで握って、川の水を飲んでみたいなサバイバル合宿でしたね。

伊藤 まさに『THE青春』ですね!実はスキーの元国体選手だったとも、伺っています!

朝岡 大学院生の時に、国体に挑戦してみようかなと思って予選大会にでてみました。その日は、係の人も早く帰りたがるような、ものすごい吹雪の日で…しかも、下から数えた方が早い滑走順(※当時のルール:過去のタイムが早い人や、以前に出場経験がある選手から滑っていく)。順番が後になればなるほど、コースも荒れて不利だし、上位に絡むのは難しいだろうと思っていたら、おもいがけず1位になりました(笑) 

伊藤 えぇー!?!?すごすぎます!?!?!

朝岡 自分でも驚きました(笑)!結局そのときは細かなルール上の関係で国体の本選には出られずにおわり、その後しばらくは遠のいていましたが社会人になった後に、再挑戦しました。子どもが3歳の頃に、再度出場した予選大会でも色々とハプニングがあって…(笑)!

スタート前に子どものおむつ替えをしていたら時間がぎりぎりになり(笑)コースの下見もそこそこに終えました。しかも、またもや滑走順は下から数えた方が早くて。本格的に滑るのは久しぶりだし、ドタバタしているし、とにかく転ばないように気を付けてというのを心がけて滑っていたら、まさかの年齢別のクラスで1位という結果になりました。ちなみに、その後の本選では『命の危険を感じながらなんとか滑り切った!』という感じで終わったんですけどね(笑) 

伊藤 えぇ!?すごい…!本格的に練習を続けていたら、一体全体どんな高みまで、いかれていたのでしょうか?!!!!

趣味について

伊藤 趣味を教えてください。

朝岡 やっぱりスキーですかね。今は便利なアプリがあって、滑走距離、最高速度が計測できたり、何回リフトにのったか記録できるのがあるんですよ。娘を連れてスキーに行くことが多いのですが、娘のことは構わず(笑) スキーの走りを追求して滑っています。ちなみに誰もいないところでは、最高時速80キロくらいでます!

伊藤 そんなに便利なアプリがあるのですね!しかも80キロって、もはや高速道路レベルです!

国体参加時の朝岡執行役員

前職は空気圧機器メーカーの生産技術職

伊藤 前職では、どんなお仕事をされていたのですか?

朝岡 空気圧機器の会社で生産技術職として働いていました。製品の部品を作る生産ラインの仕事に従事していたのですが、仕事内容の幅が広く、様々な知識がないとできない部分も多かったです。切削加工ラインの計画・導入・立ち上げ・改善など、色んな業務を担当していました。

伊藤 前職での経験されたことが、当社でも活きているなと感じる時はありますか?

朝岡 大手企業だけど、マニュアルが存在せず業務のフロー化がなされていなかったので、自分で考えて自分で作りあげるというところが多かったんです。当時はそれが不満だったんだけど(笑)今考えると、だからこそ学べることも多かったし自分を成長させるためには、すごく良い環境でした。当社でも仕事において自分で考えて自分で行動していかないといけない部分が多いので、そういった意味では前職の経験は役立っているなと感じることも多いです。

伊藤 転職されたきっかけは、なんですか?

朝岡 入社後、国内より国外での勤務が多くなり数か月単位で海外出張を繰り返していました。そうした中で「日本のために働きたい」という自分の想いとはかけ離れていると感じたからです。また、当社の面接と工場見学のお誘いを受け、行ってみたところ『今までやってきたこととは、また別の領域だな!』とワクワクしたこともあり入社を決めました。

入社後のキャリア

伊藤 入社後のキャリアを教えてください。

朝岡 つくば工場の製造課に配属され、1年後に工場長に就任しました。

伊藤 1年で工場長に!?

朝岡 最初は、突然の辞令に驚きました。だけど、割と自由にやらせてもらえるし、必要なサポートは受けつつも、みんな静かに見守って応援してくれました。反対したり、頭ごなしに否定したりする方がいないので、非常に助けられました。

現在の主な仕事内容

伊藤 現在の主な仕事内容を教えてください。

朝岡 製造部門の管理と薬事関連の責任者をしています。製造管理の実務的なところは各工場長がやってくれているので『今後どのように会社を動かしていくか』を考える仕事が増えました。会社が発展したり、みんなが働きやすくなるきっかけになってくれれば、やりがいがあります。加えて、現在進行中のつくば工場の新工場増築案件にも携わっているのですが、年始にリニューアルを終えた御茶ノ水新オフィスがあまりにも立派に完成したので、だいぶハードルが上がっています(笑)

伊藤 朝岡さんが普段拠点とされている工場から営業所に出社される度に、各部署のメンバーからひっぱりだこになっている姿をよく目にします。

朝岡 工場にいると製造状況や、工場内の様子がすぐ確認できるけど、営業所のメンバーはそこを知ることがなかなかできない。そういった意味では、僕が営業所にきて他部署のメンバーとコミュニケーションをとることによって工場の話もリアルタイムに共有できるのがいい点かなと感じています。

仕事において心がけていること

伊藤 工場長時代、大人数を統率されていらっしゃいましたよね。朝岡さん流のリーダーシップをとるコツを教えてください。

朝岡 つくばの工場長だったときは、お互い心を開きやすくするために社内イベントをよく開催しました。いちごやミカンなどのフルーツ狩りからボーリング大会など。最初こそ数人しか来なかったのですが(笑)家族連れで参加してもらうと、子ども同士のつながりができ、仕事上では話さなかった人たち同士が自然にだんだん話すようになるんですよね。回を重ねるごとに参加者が多くなり、少しずつ所属課を超えて工場内に一体感が生まれてきたかなと感じていました。

伊藤 フルーツ狩りは、いまや大人気のイベントだと聞いていますよ!

朝岡 あとは、ひとりが複数の業務や作業を行えるようにする『多能工化』も進めていました。課が離れていると、他の人がどのような仕事をしているのかわかりづらい。別の課の仕事も挑戦してみるようになると壁がなくなり『みんなお互いにそれぞれがんばっている』という気持ちが生まれていくんですよね。

伊藤 それ以外にも、仕事において心がけていることはありますか?

朝岡 常にいろんな情報に積極的に耳を傾けて、新しい知識や今まで自分が知らなかったことに対して勉強していく姿勢を忘れないことです。あとは、部下が来てくれた時は、手を止めて聞くこと、部下の仕事を止めないよう判断を素早くすることを心がけています。前職の時、上司に報告することが多かったのですが話しかけていいタイミングが計りづらい部分があったので、自分が上司になったときは気を付けようと思っていました。

伊藤 朝岡さんといえば、どの年代の社員とでも、楽しくコミュニケーションを取られているイメージがあります。

朝岡 意外に人見知りなんですよ!?実は、人からなにか話を振ってもらうほうが得意なんです。突っ込みが上手な人に会うと『すごいな!』と思います(笑)

伊藤 本当ですか!?朝岡さんって突っ込みが上手だなって思っていましたよ!私のオチがない話も毎回拾ってくださいますし!(笑)

入社後に印象に残っているエピソード

伊藤 入社後に印象に残っていることはありますか?

朝岡 約7年前に茨城県常総市で発生した水害の時のことですね。当時は夜中から豪雨が続いていて、翌朝通勤の際、橋の脇を見ると、いつもは水位がそんなに高くないところが、もうちゃっぷんちゃっぷんいっていて。会社に着いたら、コールセンターかのように電話が鳴り響いていました。すべて『川が氾濫して、工場にたどり着けません』という電話で、川から離れたところに住む数人の従業員しか出社できていない状況でした。次第に『〇〇さんの自宅が水没している』・『〇〇さんが避難をしている』などの情報が集まりました。

社長からは『仕事は二の次でいいので、それより社員の家を片づけたり、必要なものを持って行ってあげてほしい』と連絡が来ました。本社からも、従業員たちが軽トラや大きなトラックを借り、その中に買った高圧洗浄機を積んで手伝いに来てくれたので、みんなで一緒に被災した方の家を片づけに行きました。

伊藤 みなさん本当に優しいですね。そんなことしてくれる会社ってありますか?!

朝岡 そのあとも他の従業員と一緒に被災した方の家を片づけにいく日々が続き、一週間くらい自分の仕事は放置していました。週末も手伝いにいき、その日も夕方まで片づけをしたあとに「仕事をしてから帰るね」と言ったら他の従業員たちも「私たちも仕事してから帰ります」と言ってくれたんです。その時は、とても感動しました。被害にあった方にとっては忘れたいことかもしれないですが、その水害の時のことは今でもとても印象に残っています。

座右の銘は『3人寄れば文殊の知恵』

伊藤 仕事において座右の銘はありますか?

朝岡 『3人寄れば文殊の知恵』…仕事の醍醐味は、何かうまくいかなかったりトラブルが起きたときに、いかに解決していくか。それが一番重要と考えています。一人で考えて解決できないことでも、何人かで話し合うことで割と解決できる事が多かったりしますよね。色々とうまく行かないことや難しいこともあるけれど、知恵を出し合って解決の糸口を探していくことが楽しさであると思います。ですので、この言葉を選びました。

アフターコロナの働き方

伊藤 コロナ禍になってから仕事の仕方に変化はありましたか?

朝岡 工場内のことで言えば、食事をする部屋の机のレイアウトを変更したり、一斉に休み時間をとるのではなく交代制にしたり。そもそも休み時間の長さを調整したり、ひとりひとりが『コロナにかからないように』との意識を強く持って仕事に臨んでいます。

個人的に変わった事は無いけど、しいて言えば、やっぱりみんなで飲みに行けなくなったことですかね(笑)あとは、とにかく『よく食べ!よく寝る!よく休む!』普段から基礎体力や免疫を落とさないことを心がけています。
会社全体で言えば、仕事をしている「時間」より、仕事の「中身」をより重視する傾向が高まったと感じています。

朝岡さんにとって河野製作所とは?

伊藤 最後に、朝岡さんにとって河野製作所とはズバリどんな会社でしょうか?

朝岡 ズバリ!色んなことにチャレンジさせてくれる『夢がたくさんある会社』です。他の会社だと、自分一人が頑張ったとところで…という無力感が多少なりともある気がします。この会社は、自分でこうしたいと決めて、それにむかって着々と計画を詰めていけば、自由にチャレンジさせてもらえる・実行に移せる。社長も、伝統技術など古くから受け継がれてきた良い手法を取り入れて残しつつ、常に新しいことにチャレンジをしていこうというお考えをお持ちなので、社員一人一人が、会社を変えていくチャンスがある。まだまだできることがたくさんありそうな気がしますよね。

伊藤 …!!!なんて素敵な言葉なんでしょうか!『夢がたくさんある会社』という響き、良いですね!!! 本日はお忙しいところインタビューをお受けいただきありがとうございました。

普段勤務拠点が違うので、これまでプライベートのお話はなかなか伺う機会がありませんでした。今回、前職の事や趣味の話など、色々と聞かせていただくことができ、朝岡執行役員のまた新たな一面を垣間見ることができたように感じますインタビューをお受けいただきありがとうございました。

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